【五白】0902
・今回の捏造ポイント→白布の引退時期と長崎で整形外科医をやってること
明かりをつけたままなのは、診療中だからではない。診療時間を終え、看護師も院長もすでに退勤した中で書類整理などの事務作業を片付けている最中なのだ。今日の勤務を遅番とし診療時間後も残っている理由は、ここから徒歩二分の運動ができる施設で、その施設をホームとするあるチームが練習中だからである。
診療所の近くには中学校や高校もあり、主な患者はスポーツを行う選手たちだった。スポーツ医学を専攻する医師が院長を務めるこの病院にやってきたのは、偶然と、ほんの少しの希望だった。
「お疲れさまでーす」
入り口にはすでに本日の診療が終わった旨を示す立て看板を置いている。にもかかわらず入ってくる、ということは今ここに人が残っていると知っている者だけ。
「おう、こっちこいよ」
白布は診察室からほんの僅か顔を出して訪問者を確認する。それが誰なのか、声でわからぬ相手ではない。
靴を脱ぎ下駄箱に入れた音、カバンのチャックを開ける音、なにかを落とす音と、スリッパがリノリウムの床を叩く独特の音。どれもが、彼がこちらに来る前の音だ。
「お疲れさまです!」
「ん。こっちな」
彼、五色は白布の言葉に素直に従い荷物を所定の位置に置くと、少し硬い台の上にうつ伏せでその身を横たえる。丸椅子を転がした白布は、五色の足に触れた。まずは、足首。
「くすぐったいです!」
「大人しくしろ」
白布は、整形外科医だ。マッサージ師でなければトレーナーでもなく。だが、こうしてスポーツ医の元へ来るにあたり、地元の知人たちからある程度の知識をいただいてきた。スポーツインストラクターたちや、理学療法士など、その道のプロの、知人に。
五色は練習後のストレッチは絶対に欠かすことがない。しっかりとほぐされた体を、他人の手でもう少し。丁度いい加減までは会得できなかったので、得た知識の範囲で彼の体を整える。
「今日は、サーブの練習を重点的にしたんです」
「コントロールのほう?」
「そうです! チームのコーチも俺のサーブ威力は褒めてくれてるんで、そのままコントロールだなって」
随分と嬉しそうなのはコーチに褒められたからだろうか。うつ伏せでは顔が見えないため、どのように喜んでいるかもわからないが、なにかが彼のモチベーションアップにつながっているのならば問題ない。
指先にわずか、力を入れてふくらはぎを揉む。スポーツマンの足だ。当時からしっかりと鍛え上げられていたのだから、Vリーガーの道へ進むのは必然で。二年間、五色をそばで見続けていた白布にとって、エースに尽くした高校生活の三年間が間違いではなかったと確信させるものだった。
とはいえ。当然ながら白鳥沢へ進学した目的は牛島若利である。五色のことなど知らなかったし、彼が入学し部活へ参加し始めた当時は理解できない宇宙人のように見えたこともあった。しかしその年の春高、翌年のインターハイを共に戦い、受験のため早期引退したあとも時間を見ては五色にトスを上げていた。
その当時は気分転換と体力低下を防ぐためと思っていた。いや、言い聞かせていたのだ。宇宙人に懸想してしまった自分を否定するための、呪いのような思い込み。もっとも、その呪いを解いたのは懸想の相手である五色だったわけだが。当然ながら。
未だにわからない。素直でもないし、どちらかといえば彼を否定するような言葉ばかりを投げていたのに、想い人として選んだのだろうと。遠距離だった期間を含めたって十年共にいるのに。
「白布さん、お願いがあるんですけど」
「なんだよ」
「今日泊まってってほしいです」
白布には、その言葉がその言葉以上の意味を持たないことがわかっている。白布を抱く側である五色は、白布の体を最優先に考えてくれるためだ。だからこそ、とも言える。どうしてそこまで、深く愛してくれているのだろうと。
「五色」
「はい?」
「……俺はお前が好きだよ。だけど、なんでお前に好きでいてもらえるのか、何年一緒にいてもわかんねぇんだ」
ふくらはぎを揉んでいた指を、太ももへと運ぶ。そっと、ほぐすように指先へ力を込めた。問いかけた言葉と、動作がそぐわないのは承知の上だ。
「一緒にいてくれたから。白布さんは、言葉は……優しくないことのほうが多かったですけど。でも辛いときも、悔しいときもそばにいてくれたじゃないですか。そういうのって、やっぱり嬉しいもんだから」
自覚する前から、告げるつもりもなかったあの頃から、想いが届いていたというのか。それならば、呪いを解いて当然だ。そうしてくれと、きっと自分が望んでいたのだから。
「……そういうもんかね」
「そうですよ! こうやってわざわざ長崎に転勤してきてくれたのも、俺のために色々覚えてくれたのも全部嬉しかったから」
いつもと変わらない声。その顔は、今はもう見ずともわかる。いつもの、人懐こい表情。白布のことを好きだというときの、あの顔だ。
俺も、嬉しいよ。小さな声で言えば、五色も小さく笑った。それだけで、愛されていることに自信が持てるなんて、白布は知らなかった。