【黒研】季節外れの桜

シリーズ: krkn2024 第1話

※研磨→黒尾の片思いが主軸になる話ですが、YouTuber・KODZUKENが歌ってみたを上げています。話に出るだけなので具体的な描写はありませんが、苦手な方はご注意ください。
研磨さん29歳の誕生日前後の話。
なお、歌みたの歌は合いそうなものがあればどれでも自由に想像していただいて問題ありません。 一応「桜ノ雨」イメージです。
タグ: HQ 黒研

──21時、サブチャンに動画上げるから。

 それだけを綴ったSNSの投稿画面が、タップ一回で切り替わる。それを上げることすらサブアカウントで、メインアカウントよりも見る人間は少ない。サブチャンネルだって、登録者数はメインチャンネルよりもかなり少ない。
 サブチャンネルやサブアカウントを始めたのは特に理由などなくて。しかしこんなものを食べた、こんなゲームをやった、趣味兼仕事の配信外での行動を表に出すことが予想外に外部に対する影響を持っていたことを知ったときだったような気もする。毎回案件ですかとリプライが来るのもうっとおしくなって、『案件はありません』とだけ概要欄に書いたサブのそれら。
 登録数は少ないし、息抜きで撮った動画を編集してもらって上げているだけのチャンネルである。他には例えば雑談配信。プライベートをペラペラと語る気はそもそもないものの、ゲームのことならば別だ。普段配信でプレイしないが、面白いゲームは世界にあふれていて、それらの感想を言うだけの配信などはゲームプレイが見たい層に不要である。だから、サブでやるようになった。
 ただしゲームプレイならばどんなマイナーゲームもいわゆるクソゲーでもメインチャンネルでプレイしてやった。それに対するつまらないだのこんなゲームやるなだのというくだらない批評は無視した。なにせ、少なくともやらなければ自分にとって面白いかはわからない。それを識るための行動を、とやかく言われるのはなによりも嫌だったから。だからなにを言われてもメインでやった。
 例えば今や有名人である日向翔陽と友人であると明らかになってからはバレーの同時視聴なども始めてみた。選手の心理面を解説してやれば、視聴者は喜んだ。バレーは好きなものにくくるには少したりないが、好きなほうだし、楽しいものだと知っている。だから好きになる人間が増えるのは、単純にいいことだと思った。しかしこれもまた、ゲーム以外に興味がない人間には関係ないので、サブでやった。
 そして今日。このあと。おそらくこの世の誰もが興味のないものを上げる。珍しく、少しだけ怖かった。孤爪研磨二十八歳、YouTuber生活ウン年にして初めて怖いと思ったかもしれない。
 だけれど、今日上げたかった。明日は、研磨の誕生日なのだ。たまには思いの丈を吐露したいと考えて早数年、実行に移せずとうとう二十九になってしまう。来年には三十で、大台である。だからこそ今しかなかった。なにせ、もうすぐ大台である三十になる男がいる。自分にバレーを押し付けて、楽しみを教えて、そして好きなことで生きる人生を後押ししてくれた人。
 きっとあの男は「俺はなにもしてない。研磨が自分で決めたんだろ」と言う。そんなことわかっている。だけど、男の存在がただ、背中を押す存在だった。そこにいてくれるから、やろうと思えた。それだけ研磨の道を照らしていることをきっと本人は知らない。
 研磨はおもむろに立ち上がると上着を着て、財布とスマホを持った。キーケースを入れっぱなしにしているショルダーバッグにそれらを突っ込んで、キャップを被って外に出る。都内の、少し外れの古民家。借家だがいい家だしいい立地だった。
 敷地内に停めたコンパクトな軽自動車に乗り込んで、エンジンをかける。ハイブリット車は静かに動き出した。公共の交通機関を使うことが煩わしくなった頃に買った愛車は、研磨の所有物なのにどこかの誰かのほうが運転する回数は多い。職業柄もあって出不精な研磨を外に連れ出す口実を与えてしまったと気づいたときには遅く、それでも文句を言うだけなのはそれなりの理由がある。
 夜の都内は、夜とは思えないほど明るい。車を走らせて、見慣れた場所につく頃には明かりは減っていて、人の気配もなくなって。研磨は車を停めた。十年ほど前に通っていた母校の前で。
 エンジンを切って、スマホを取り出した。その小さな端末からは開くことのあまりない赤いアイコンをタップしてアプリを開く。自分のチャンネルを開けば、ひとつの動画がある。三分前。そう書かれた動画を確認してから、時計を見る。二十一時四分になった。
 投稿したのは、生まれて初めての『歌ってみた動画』だった。概要欄には原曲のリンクと、すぐ消すかも、という言葉しかない簡素なそれ。開くのは躊躇われてすぐにアプリを落とした。レコーディングスタジオを借りて、知り合いの知り合いの音楽関係者に音声編集を頼んだ。彼も元高校バレーのセッターだったという。世界は狭い。
 練習はしたが歌など歌うことはほとんどないから、うまいとは言えない。ただ、心は込めた。伝えたい言葉があったから。その曲を選んだのは単純に気に入っていたためだが、彼が見て伝わればいい。卒業ソングを歌ったそれを、もし彼が、見たならばの話だが。
 本当は当時に贈ってやりたかった。なにせ卒業ソングなのだ。卒業を迎える者に歌ってやるのが筋だろう。しかしできなかった。カラオケに誘われても入れることはなかったし、個人的に誘って歌うこともできなくて。その当時も練習は少しだけ、していたのに。
 人前で歌うことが苦手なのもある。それに別れ、という言葉が入っている歌を歌うことも、本当に終わりのような気がして胸が張り裂けそうになった。離れるなんて嫌だ。そんな感情が、音をなくした。そのときからだ、この感情を持て余しているのは。
 離れるなんて三度目だったというのに、そのときには恋という言葉も知っていたし、中学や高校へ進むのとは違い同じ場所には行き着かない本当の別れなのだということも知っていた。さすがに高校を出てまで同じ場所に来いだの一緒にバレーをしようだのと強く言ってくることはなかったから。いつから考えていたかはわからないが、それをやらせることは彼にとって、高校までの期限付きだったようだ。
 研磨自身もそれなりに楽しみを見出してしまったから、彼のいない残り一年くらい、自分からバレーに打ち込んでみようと考えて春高までやりきった。結果だけ見れば振るわなかったかもしれないが、とても充実していたと思う。本当の別れをしたはずの彼とは、まだやっぱり一緒にいた。家が隣の幼馴染なのだから、たとえ単身引っ越したとしても交流が途絶えるわけではなかったのだ。
 ずっといっしょにいた関係から、適度だがそれでも近い関係。研磨が高校を出て大学に行き、株で儲けてプロゲーマーやYouTuberになったとしても、それは変わらなかった。彼は時々有名になった研磨の名を使おうとニヤニヤなにかを企んでいたが、それ以外ではただの孤爪研磨として接してくれた。だから、感情をいつまでも捨てられずにいた。十年間。おそらく潜在的なものを含めればもっと、長い期間熟成したもので。
 だが、いつまでも燻らせているのは精神的にも負担がある。結婚願望はないが、それなりに欲はあるのだ。その感情を抱えたまま、これ以上彼と接するのはいつ、なにをやらかしてもおかしくない。だから今日と、決めた。今日、彼がここに来なければ、抱えていた感情はここに、結果として充実した日々を過ごせた母校においていこうと決めた。
 伝わるだろうか。そもそも見るのだろうか。彼が忙しいかどうかなど知ったことではなくて、昨晩夕食前、一連の流れを締めるための「りょーかい」という短いメッセージ以降連絡はない。もちろんその後には夕食を共にしたが、二時間ほどで帰宅した。これまでだって彼が懇意にしている存在がいるかどうかも話題に上がることはなくて、強いて言えば結婚式に呼ばれていないのだから結婚はしていないだろうという予想が立てられるくらい。それだけ、知らされない距離感、知りたくなかったから問わずにいた距離感なのだ。
 そういえば、あれだけ呼び出しを受けていた高校時代ですら彼女はいなかったように思う。部活仲間にそれをからかわれてもバレーのことしか言わなかった。だから最初から、なにも知らない距離感だったのだ。それがいいのか悪いのか。研磨にはわからないが、研磨にはちょうどよかったのだと思う。
 ふと、時計を見た。二十三時、五十分だ。ここに来てから物思いにふけるだけで三時間近い時間を過ごしていたなんて。ゲームと株で日々を過ごしているだけに、こんなにも長くなにかの画面を見ずにいたのは久しぶりだった。あと数分で、この時間も終わる。
 日付が変わればまた一年が始まる。二十九歳になった研磨は綺麗サッパリこの感情をなくしてただの、彼の友人として生きる。そう決めた。すぐには難しいだろうな、自嘲すれば、遠くからなにか声が聞こえた。
 住宅街なのだから声くらいする。深夜だが。だから周りを見回すことなんてせずに、時計を見た。デジタルの数字は『53』を表示している。
「研磨!」
 その声は、ひどく近かった。同時に助手席の窓がノックされて、そちらを見れば来てほしいと願っていた彼が、いた。
「……クロ」
「やっぱりここだった。良かった合ってて」
 窓ガラス越しの声は少しくぐもっていたが、すぐに「入れろよ」と言われたから、ドアの鍵を解錠した。聞き慣れた音のはずのそれを聞いた彼は、そのまま車の中に入ってきて。
「……よく来たね」
「いや、珍しいもん上げてんなと思って。感想がてらからかってやろうと思って家行ったらいねえし、だから」
「わかったんだ」
「なんとなく、直感」
 歌った歌の、最後の歌詞。未来を願ったそれを、おそらくそうなった今待ち合わせの意味で使う人間などいない。だけれど、この男は来た。
 負けだな、と思った。勝ちか負けかでいえば、多分負けだ。なにせ、来たら伝えようと決めていたのだ。来なければ捨てるだけだった感情を、ようやく音にしようと。
「クロ」
「ん?」
「好きだよ」
 デジタル時計は『58』を示す。あと少しで、誕生日だ。その日を特別に思ったのは本当に幼い頃だけで、いつからかゲームを買ってもらえる日になった。だけれど、隣にいる幼馴染がくれる「おめでとう」は、いつだって特別だった。
「……トモダチとして?」
「それはいまさら言うことじゃないでしょ」
「ウン、まあ、そうね」
 研磨は正面を見る。だから彼の顔は見えない。どんな顔か、嫌悪ならば余計に見たくはない。困惑で済めばいい。だが、研磨は賭けに負けた。自分はここに来ておいて、この男は来ないと思っていたのだ。負けたものは失う。それは、この感情ではなくおそらく存在だと思いながら。
「いいよ、もう帰って。……ああでも、遠いか。おれの運転で悪いけど、送るよ」
「は、待って研磨さん」
「なに」
「返事とか」
「いらない」
 どうせ断られるならば、このまま別れたい。四度目の別れは、あるならばきっと永遠だと、この十年ずっと考えていた。
「なんで」
「言いたかっただけだから。どうせそんなつもりじゃないとか言われるなら、聞かないほうがマシ」
 同性に恋することがどれだけマイノリティかを十分に知っている。これでもネット社会に身を置いているのだ。ここ数年では昔よりマシになったのかもしれないが、それでもまだそれはメジャーではない。
 だから、友人の顔をしてずっとそばにいた幼馴染だってそうなのだ。友人の枠を超えず、それ以上などありえないと、そうなのだと。
「研磨」
 しかし、次の瞬間車が揺れて、視界が闇に包まれた。塞がれたのでも閉じられたのでもなく、影になるものにより、遮られたのだと気がつく。同時に唇に仄かな熱。わからないほど子どもではない。
「……クロ」
 名を呼ぶしかできなかった。狭い車内で、助手席から無理やり身を乗り出してくるなど思わなかったから。ましてやキスなど。フロントガラスに向けていた視線を、助手席に向ける。
「誕生日おめでとう、研磨。フラれて過ごす誕生日なんて嫌だろ」
「同情?」
「バーカ。同情でキスまでしねえよ」
「初めてなんだけど」
「じゃあちょうどいいな、俺からのプレゼントだ」
 腕が伸びて、髪を撫でられる。もうすっかり金に染めた部分はなくなってしまったが、頭を撫でてくれる感触が変わるわけはない。心地よくて、好きな手だった。
「好きだ研磨、ちゃんと、トモダチの好きじゃねえやつ」
「……知らなかった」
「俺もだっつの。脈ねえと思ってたから言わなかったのに」
「おれは、昨日で捨てる気だった」
 時計に視線を向ければ、時刻は『0』を示す。もう、昨日だ。今日は、研磨にとって新しい一年で。
「あぶね。明日でいいかなと思ってたんだよ。でも、研磨誕生日だし、ついでだから一番に祝ってやろうかなって」
「直感、すごいね」
「いい方に進むための直感ってのは財産みたいなもんだからな」
 きっと、バレーでスパイクを打つ瞬間のことを言っていて、それにより培われたものだと言っているのだろう。ただしスパイクは緻密な計算と策略を持って、その直感をただの直感から確信に変えていたことを知っている。だからこそ、今この瞬間、彼がここにいることは直感以上のなにものでもなくて、偶然。
 偶然であるから、研磨は嬉しかった。彼の直感にも愛されたのだと。賭けは負けだと思っていたが、実のところそうではなかった。
「……全財産失う気だった」
「は? なに、株の話か」
「クロを好きでいる気持ちを表したんだよ」
 なにせ、彼は研磨のすべてだった。バレーをしていたのは続いたからというだけだったが、それをしなければ今どうなっていたかなんて考えもつかない。好きなことで生きるのは、あの日々がなければ選べなかったかもしれないから。
「クロ、好き」
 もう一度、今度は勝利を掴むための言葉として。
「俺も好きだ、研磨」
 もう一度、今度は受け止めるだけではない口づけを。今の自分たちを形作った場所に誓うように。
「……帰る?」
「研磨んち行く」
「なんだ、送り狼になろうと思ったのに」
「煽り?」
「どうだろうね。おれももういい年だし、年相応の冗談も言えたほうがいいとは思うけど」
「言えなくていい。俺だけにして」
 そう言うと、彼は研磨に車から降りるよう言った。どうやら、彼が送り狼になりたいらしい。研磨は仕方ないなあと肩をすくめて車を降りると彼と入れ違いで助手席に乗り込んだ。
 車は静かに進む。もうあの動画は役目を果たしたわけだから消してもいいかな、などと思う研磨を、心地よく揺らしながら。

← 一覧に戻る