【HQプチホラー】0920
・不気味系。
地に足が着いていない、浮遊した感覚。木兎はそれがなんなのかわからなかったし、本当に浮いているのかわからなかった。なぜなら、目の前は暗いのに揺らめいているのがわかるから。それに、息ができない。これは空気中にいるときより、水の中にいるときの感覚に似ていた。
数十分、そうしていたような気もする。ただ、そこに浮遊していた。呼吸をした記憶がないから実は数秒なのかもしれないけれど。なにもわからないまま、ずっと前を見ていた。すると、揺れる視界の先に、揺れる光が見えた。光が揺れているのか、ここがやっぱり水の中でそれが屈折して見えているのか、わからないが。ただ、その光から目を離すことができなくてそして。
──コッチニオイデ
*****
「夢?」
「うん、よくわかんないからちょっと気持ちわりーの」
朝練を終えた木兎は、同い年の木葉にその話をした。隣で着替えていたので彼向けに話をしたが、部室には時間ギリギリまで朝練をしていたレギュラーメンバーがいたうえ、木兎の声はそこそこ通るため皆が木兎に視線を向けていた。
「真っ暗だったなら深海の夢なのかもね」
猿杙が言う。結局最後まで自分がどこにいたのかわからなかったから、人の意見を聞けるのはありがたかった。
「でも海の中なら濡れてるとか、それに深海って水圧やばいだろ」
現実的な話をするのは小見だ。木兎が『今水の中にいる』と確信しきれなかった理由をそのまま口にしてくれたから、「それなんだよなあ」と同意を示した。どちらも、なかった。自分が感じていたものは、浮遊感と、揺れる視界だけだ。呼吸のできない苦しさも、濡れている感覚も、圧力に締め付けられる感覚もなかった。
「夢なんだからなんでもありなんじゃないですか? 非現実的世界だからこそ、息をしなくてもいい体だったり、水圧のない深海だったり、存在するでしょう」
赤葦が、いつもの平坦な声で二人の意見がどちらも正解で、不正解であることを示す。それもまた正しいのだと思う。夢だ、と木兎が認識している以上それは夢で、現実ではない。現実の常識である水圧があるはずとか浮遊するのはおかしいとか、そんなものは適用されないのかもしれない。なにも、わからないのだ。なにせ、現実ではないのだから。
「俺は場所とかより、呼ばれていたことのほうが不気味で仕方がないが」
鷲尾の声は、皆とは違うポイントを示した。そう。最後に、夢だと確信して目覚める直前に聞いた声のことだ。呼んでいた、たしかに。木兎は話の中でそれを声と表現したが、正確には音と言ったほうが正しい音だった。だが音は木兎を呼ぶことがない。だから声、だと思う。しかしそれもまた、夢という非現実な、現実とは違う常識があるかわからない世界では定義しようがないかもしれない。
「そろそろ時間危ないっすよ」
木兎の言葉へそれぞれ反応を示す時間に終止符を打ったのは最年少の尾長だ。着替えが中途半端になっていた木兎は、慌てて制服に着替える。
朝起きたときは今以上に気味が悪く、気持ち悪さが体内を埋め尽くすほど、あの夢に捕らわれていた。今、こうして仲間に話したことでそれが少しだけ解消されたような気がした。それでもまだ、気になる。脳裏にあの光が存在し続けている。
──コッチニオイデ
部室を出ようとした瞬間だ。耳の奥に残ったままの音が聞こえたような気がして、木兎は部室の中を振り返った。
「……木兎、どうした?」
木葉が、立ち止まった木兎に声を掛ける。
「ああ、うん、なんでも……」
その瞬間、世界が暗闇に包まれた。