【赤この】0930
玄関を開けて、それを見て。馬鹿だろうと思った。
「お誕生日おめでとうございます、木葉さん」
赤葦が抱えたら顔が見えなくなるくらいの色とりどりの花。ただ、匂いがしないから造花だ。昔、俺の二十歳の誕生日だって言って九本のバラを買ってきたことがあったが、忙しなく動き回る大学生の身では、ろくな世話もできずに一週間ほどで枯らしてしまった。あの頃は二人でひどく残念がったが、最近になって生花なんて一週間持てばいいほうだと病院の看護師に教えてもらい、あの日の悲しみはなんだったのかとまた少し悲しくなった。
その話を赤葦にもしたためか、顔が見えなくなるほどの花は生きたものではなくなったのだろう。それにしても、なんだってこんなにもカラフルになって帰ってきたのかね、俺の恋人は。
「どーしたのそれ」
「お誕生日おめでとうございますの花です」
それは最初に聞いたし知ってる。俺は思わず苦笑いを浮かべた。けど、花に埋もれた赤葦は見えてすらいないだろう。とにかく、このままじゃあ家に上がることすらできないだろうから、その大きな花束を受け取って早く上がるよう促す。
俺は足でちょいちょいと揃えちゃう靴も、赤葦は指先で丁寧に整える。それも、作家先生の家にお邪魔する際失礼にならないようにと癖ついた習慣だそうだ。コンビを組んで長い宇内先生の家ではむしろ脱ぎ散らかしてるようだけど。
「誕生日なのはいいけど、なんでまたこんなにカラフルな花なんだよ」
「別部署で最近新しい女性誌が発刊されまして」
ソファーに並んで腰掛け、造花はテーブルに置く。赤葦から質問に対する答えでない言葉が返ってくるのは割と、日常茶飯事だ。結論より前にまず経緯を話すところから始めるから。だから俺はいつものように「うん」と相槌をうって続きを促す。
「その中で誕生花特集というページがあるそうなんです。月刊誌なので、発売する月の、毎日の誕生花と花言葉を並べていて」
俺が「女性はそういうの好きだよなあ」と、流れに沿った言葉を添えれば、「その特集をねじ込んだのは同期なんです。男の」と、倒置法で返事が返ってきた。へえ。珍しいとは言わないが、そう多くもない属性だと思う。ただ営業先の病院には、女性医師の比率が高くて男性医師も彼女らの好みに染まっている様子も見たことがある。彼は同性の俺に対して気さくで、こんなはずじゃなかったと楽しそうに笑っていた。手にはピューロなキャラクターのマグカップを持って。
「……木葉さんが思ってるような理由じゃないですよ。そいつ、元々図鑑とか参考書とか、そっち系の書籍を担当したかったみたいで」
「もしかして植物好きなんだ、あ、それって赤葦がよく話してくれる同期くん?」
「そうですね、飲みに行くのも大体そいつなんで……。ただ、今まではあの草がどうとか、木の年輪がとか、そういう話は聞いたことありましたけど、花言葉の話題はしたことがなくて」
じゃあなんだよ。因果関係が薄らいだところで、赤葦が笑う。それは微笑ましいものを見たときのように優しい笑顔で。
「推しが、花言葉が好きらしいです」
「おし」
俺は思わず復唱した。
「ネットのアイドルにハマってて、そいつ。植物好きと推しの好きなものが融合して、誕生花とか花言葉とか、それまで守備範囲のちょっと外にあったジャンルに足突っ込んだらのめり込んじゃったみたいですね」
いいことじゃん。なんなら木兎にトス上げたくて梟谷に入った赤葦と同じ匂いがして気が合いそう。だから飲みに行くのか。俺のことがだーいすきで一時も離れたくないっていつも言ってくれる赤葦が、仕事の周期に合わせて時間を作る相手。アマチュアとはいえバレー選手の俺は深酒をしないようにしてるし、赤葦とも休み前にちょっと飲む程度。酔いたいときに飲むなら、同じリズムの相手がいいに決まってる。とはいえ、赤葦は酒に強いみたいで全然酔わない。俺も酔わないけど、逆に加減がわからなくてセーブしてるから。
まあ、酒の話は良くて。そんな酒飲み友達同期が花に足を突っ込んだからってなんで花を買うことになるのかわからない。赤葦は人の話をよく聞いてくれて、興味なくても手を出してくれる(それはおまえにだけだって小見やんに言われたけど)いいやつだ。あ、つまりそういうことか?
「話聞いておまえも足突っ込んだんだ?」
「そこまでじゃないです。別に知らない人間の誕生日に興味はないですから」
そう言うと、赤葦はテーブルの上においてあった花束を手に取った。
「木葉さんの誕生日だから。あなたへの感情にふさわしい花を並べさせてもらいました」
「お、おう……」
今までの雑談なんだったんだよってくらいの甘い声甘い言葉に、不意をつかれた俺は一気に沸騰した。それはもう、ほっぺなんて触らなくても熱くなってるのがわかるくらいに。
差し出された花束は、さっきも持ったけどそれなりの重量だ。造花だからなのか、それだけの量があるのか。どっちもかもしれない。だけど、さっきの言葉を俺に都合のいいように解釈すれば、その重さも赤葦の感情ってことで。ああ、重たい重たい。そんな重たい赤葦が好きな俺も、多分重たいんだと思う。
「ひとつひとつ、意味を説明してもいいですか?」
「いみ……」
「はい、まず一番手前のピンクの花はゼラニウム、意味は尊敬です。隣の花は知っていますよね、ヒマワリです。意味は、あなただけを見つめる」
淡々とした口調で語られる花の名と、意味。沸騰した頭が、余計に沸き立つ。沸かすのはポットとフロアだけにしてほしい。別に俺たちミュージシャンでもなんでもないけど。
「えっ、ちょ、ちょっとまて、……全部言うつもりか……?」
「ええ」
「っ、ストップ、だめ、俺の心臓もたねえよ!」
このまま、この十数種類ある色とりどりの花について解説されたら、多分溶けてなくなる。もう今ですでに、やばい。まだ二個なのに。
「駄目ですか?」
「だめ、思ってたより、……心臓バクバクしてる」
赤葦と一緒になって早十数年。それでもこいつからもらう愛の言葉に慣れることがない。多分、一生無理。だって毎回、すごく愛おしそうな顔で言うから。
「それじゃあ、もうひとつだけ。他のはおいおいにしますんで」
「……結局聞くのか……まあ、今はもう一個くらいなら……」
ドキドキして破裂しそうだけど、俺は頷いた。
「ありがとうございます。では、この周りの葉ですが、アイビーといいます。花も、ささやかですが咲いてますよ。意味は……、永遠の愛」
赤葦は最後の言葉を告げたと同時に、俺の左手を取った。それから、薬指になにかの感触。花束でなにも見えない、けど。
「秋紀さん」
普段は呼ばない名前。俺の頭がいろんなことを想像してそして、ひとつに絞っていく。
「結婚してください」
「……は、」
「もう買っちゃったんで。逃げられませんね」
「おまえさあ……!」
「秋紀さん。いい返事をくれないとこのまま残りの花の意味を教えないとならなくなりますよ」
脅迫だ! なんて、いつものノリなら声高に言える。だけど俺も三十超えて、それが冗談でもノリで返していいものでもないことがわかる年になっちまった。若い頃ならやっぱり女の子のほうがいいんじゃないかとか、俺じゃだめなんじゃないかとか、色々無駄に考えることもあったけど。でもそれって、無駄なんだよな。俺もこいつも、重たいから。離せない離れられない。
「そんなことしなくても、返事は決まってるよ」
俺に足りないのは覚悟だった。一過性の感情なんじゃないかってどこか一歩引いて。だけどもう、十年以上。だって愛してんだ。愛は増すばかり。こんな意味の花だって、きっとどっかにあるに違いない。
「俺と結婚してくれ、京治」
馬鹿だろうと思った。だけど、それすらも愛おしい。