【黒研】重ねるハジメテ

シリーズ: krkn2024 第2話

【黒研】季節外れの桜の続きの黒尾誕
・研磨29黒尾30
・R18未満の事前事後表現があります。研磨さん誘い受け風味。
・全部捏造。
タグ: HQ 黒研

 先月。恋人となった最愛の誕生日に、黒尾は送り狼になどならなかった。男同士の初めてがそんなに簡単なものではないことを知っていたからだ。訪れ慣れた一軒家に足を踏み入れ、ただ、最愛とともに彼のベッドで眠った。彼も、それに文句はなかった。彼もまたそのハードルの高さを知っていたのだ。
 なにかの初めてはいつだって高い。しかしそれが低いものもあって、気軽にできる初めてが世界に何十何百とあれば、高いものに手を伸ばす人間は少ないだろう。今の職に就いてそれなりの時間が経つから、それは十分に理解している。
「求められてないとは思わないけどさ、ここまで手を出されないとも思わなかった」
「無理はさせらんねぇもん。いい年だし、ちゃんと仕事のことも考えてて」
「わかってる。だから、仕事入れてないよ」
 最愛の自宅の、居間で。それなりに気温が下がりつつある季節とはいえ、まだ本格的に暖房を入れるには早い時期。それでも少し肌寒いからと、大きなテーブルの一面に向かって二人寄り添っているそんなときに。
「えーっと?」
「配信もしない、参加する大会もないし。株は……ちょっとくらい見るかもしれないけど」
「会社は」
「クロが一番分かってるでしょ。おれが動かなきゃなにもない。翔陽には今日明日は連絡取れないって言ってある」
 決して、求めていないわけではない。欲しくて欲しくて、それでも手を伸ばしきれなかった宝物を手に入れてひと月。明日で三十になろうという瀬戸際で、彼は、研磨は、まるでコートにネットを張るかのように着々と準備を進めていたなんて。
「クロも、明日はどこにも行かないって知ってるよ」
「……悪い顔してる」
「そりゃあ、おれにだって性欲はありますし? 抱かれてもいいと思ってた相手と両想いになって、想像してたあれやこれやが繰り広げられると思ってたのに」
「あのさ、全部が初耳過ぎてついてけないんですけど」
「だって初めて言ったもん」
 ケラケラと笑う研磨は、一滴だって酒を飲んでいない。そうならばまだ良かった。研磨は酒に強くはないしすぐ眠ってしまうが、眠るまでの間は人をからかってしまう性質があった。笑い上戸のようなものだろうか。特に黒尾に対しては容赦がなく、幾度となく誘われているような感覚に陥ったものだ。今思えばそれも別に、感覚だけではなかったのだろう。酒を飲めば本性が見えるとはよく言ったもので、おそらくその瞬間だけ、研磨は黒尾に好意を伝えていたのだ。翌日はなにも覚えていなかったが。
 そんな彼がこうしてシラフでも積極的な言動をするということは、おそらく本心を包みも隠しもしていないということ。いつからかはわからないが抱かれたいと思ってくれていて、そのうえ行為についてあれやこれやと想像までしてくれていた。表に出したことは絶対にない。彼の配信でもそういった話題には、ほとんど触れることがなかったのを知っているからだ。ゲームキャラの、少し過激な衣装やスタイルに言及することはあれど。
「俺はそこまで、考えてなかった。だって期待損は嫌だったし」
「別にそれって普通だよ。アイドルとか二次元に性的な欲求をストレートにぶつけるのって、絶対に手に入らないってわかってるからでしょ。期待してないからこそ貪欲になれる」
 それを言うと、研磨の想像も期待をしていなかったと、そういうことにならないだろうか。しかし彼はあの日、回りくどいやり方で賭けをして、そうして告白をしてくれた。返事はいらないと言って、すべてを諦めた状態で。あの告白も手に入ると思ってしたわけではないものだったのだ。ただの賭け、賭けに負けたから告白をしただけ。
 送り狼になると言って運転を変わった後から今日まで、研磨のこれまでを想像しなかったことはない。性的な欲求をぶつけるよりも、多かったと思う。
 研磨に対し黒尾は、期待をしつつそれでも手に入れようと積極的ではなかった。壊れることだけを恐れて、そばに置いておくことを最優先にしたからだ。互いの好意の向け方があまりにもすれ違いすぎていて、交わったことが奇跡のようにも感じる。
 黒尾は、隣に座る研磨の手をとった。猫の目がこちらを見る。そのはちみつ色の、色素の薄い瞳が昔からずっと好きだった。
 そっと口づけを与える。柔らかい唇に。外に出ることは少ないながらも、よく喋る職業の研磨は、唇が切れたりしないようにと手入れを欠かさない。それによりそこが、常にしっとりと柔らかいことを知ったのも先月だ。まだ、新しい発見がある。もう二十年以上も共にいるというのに。
「したい」
「ん、いいよ」
 望むのは一人でできることではない。だからこそ彼の了承はなによりも大きく、尊いものなのだ。キスをして、何度も重ねて、五度目の接触で舌を差し込んだ。舌を絡めわせるキスもこれが三度目。まだお互いに拙いながらも、求めるように触れ合うだけで心地よい。
 空いた手で研磨の頬を撫でた。小さく震える体。そのまま指を滑らせて耳の輪郭をなぞる。耳たぶの裏を人差し指でくすぐって、後頭部へ。襟足の生え際に沿って髪を梳いたら、適当にくくられている少し長い髪を解いてしまう。
 後頭部に残る手にもたれかかるように研磨が顔を離した。少しぶりに見るその顔は赤らんでとろけているように見える。扇情的だ。
「……なに」
「キスだけでそんな顔されたら、タイミングも考えねえとなって」
「それだけ、クロに欲情してるの」
「はは、すげー光栄なことじゃん」
「そう思うなら、ちゃんとして」
 言いながら黒尾にもたれかかってきた研磨はうぶなままであると、感じた。想像したところで実践などしているわけでもなく、実際が目の前に来ていて、それが自分の手でどうこうできるものではないとわかっているからこそ、隠れるように抱きついてきてしまうのなら。
 予測できないものを好みながら一方では嫌う研磨であるから、なにをするかは分かっていても、いつなにをされるかわからない今の状態は落ち着かないだろう。だけれど、これからしたいのは黒尾からの一方的な行為ではない。共に創る、二人の時間なのだ。
「研磨、先にもっと触ってほしいか、準備してくるかはお前が決めて」
「なに、クロはそういうの言わせたいの?」
「俺があれやれこれやれ言うのは違うでしょうが。研磨に理性残してやれるの今しかないかもしれないからさ」
「……テクニックに自信ありってこと?」
「研磨、俺はずっと研磨一筋だったの。彼女なんていたことないし経験もなければ童貞。だからこそ、余裕与えられる自信ないわけ」
 三十を目前にして告げてしまうことではないのかもしれないが、包み隠すことでもない。黒尾は解いた研磨の髪を耳にかけてやりながら、額にキスを落とした。研磨がひとつ息をついたのがわかる。
「準備先にしてくる」
「うん、そうして」
 彼は宣言のあと、黒尾の鼻先にキスをくれた。唇ではないところが研磨らしいというか、焦らしてくれるものだと思う。
 抱き合っていた余韻もすぐに消えてしまうほどさっさといなくなってしまった研磨を想いながら、黒尾はひとり彼の寝室へと向かった。
*****
「卒業おめでとう」
「はは、どーも」
 ベッドの中で、肌を寄せ合う。情事の余韻は散らかった衣服や必要だった雑貨、それとほんのり熱を持った体だ。
 研磨は軽い口調でおめでとう、などと祝いを口にしたが、布団にくるまって出てくる気配はない。同じ布団の中に入れてもらえるだけましだが、冬に足を突っ込んだ秋の夜では、はみ出した肩はすぐに冷えてしまう。
「体大丈夫か?」
「どっかの誰かさんが死ぬほど優しくしてくれたから平気」
「じゃあいいじゃねえか。なんでずっと潜ってるの」
「だってずっと正気だった……理性残せないって言ったの誰だよ……」
 年をとり、引っ込み思案で後ろに隠れる学生時代のような研磨はしばらく見ていない。それは職業柄もあるだろう。目立つことがあまり得意ではなかったはずなのに、自ら目立ちに行く職業の研磨。そんな彼だからこそ、布団に隠れる姿は久しぶりで、懐かしくて愛おしく思えた。布団の上から頭らしき場所を撫でて、奥にある体温をなんとか感じ取る。
 普段は世界の、だの、人気の、だの、有名実況者、だの。そんな装飾をされて呼ばれる名は、本名ではない。その名を呼ぶのは親しい人物のみで、こうして肌を触れ合わせるのは黒尾しかいない。特別でなくてなんだというのか。世界が研磨を知っていようとも、自分だけの研磨は確かにここにいて。
「それだけ俺に余裕がなかったんだろ……」
「他人事の言いぶりだし、する前と矛盾してる」
 理性を残せるのは今だけだと、確かに言った。しかしそれは予想外れだった。慣れないからこそがむしゃらに、作法もなく抱いてしまう気がしていたからだ。実際はそうではなく、逆に順を追って慎重に慎重にコトを進めた。そのせいで黒尾自身の余裕はなかったが、研磨には余裕を残してしまったようだ。正気をなくせるくらい良くしてやれなかったという、技術不足を反省するばかりである。
「……でも、クロの顔全部覚えてるのはちょっと、嬉しい」
「情けねえ顔してただろ」
「そんなことない。バレーやってたときの、次の点のとり方考えてるときと同じ顔してた」
 研磨は、布団から顔を出して言った。その目元はまだ少し涙に濡れている。シーツに散った黒髪が少しだけ扇情的で、思わず視線をそらした。初夜から求めすぎるのは良くないだろうと思ったのだ。それに彼の言う己の顔が、意図するところがわからなくて。
「それって、どういう?」
「おれのことどうやって攻略しようかって考えてたんじゃないの」
 それだけ言って隠れてしまった研磨の言葉は、たしかにと納得できるものだった。余裕などかけらもなかったのは、どうしたら良くしてやれるかばかりを考えていたからだ。無理を強いるのだからせめて快感を覚えてくれないとただの性欲処理になってしまうと思ったから。ひとまずその点は問題なかったように見える。
 セックスについて、恋人の体を攻略するものと表すならば、いつになれば攻略できるだろうか。今の体感では何十セット何百セット肌を重ねて、ようやく糸口が掴めるていどのような手応えのなさ。それもまた、一人でどうにかするものではないのだと感じる事項でもあって。
「研磨がヒントくれねえと攻略できねえよ」
 もぞもぞと布団の中で体をくねらせる研磨がまた顔を出して、枕元の時計を見た。たしか、ゲームの大会で優勝した際の副賞だと言っていたものだ。
 それはすでに日付が変わったことを示していて、研磨は黒尾に視線を向けた後、ほんの少しだけ布団をかぶった。口元を隠すだけのそれは、黒がはちみつの中を泳ぐさまを隠すことはしない。
「……その。誕生日プレゼントだけど……、おれを攻略するヒントとか」
 続きを言う前に、思わずその唇を塞いでしまった。肌寒い初冬の深夜に、ぬくもりを与える布団を引っ剥がして。
「……やっぱり、もう一回」
「勝手に一回で止めたのはクロだよ」
 同じコートに立っていた頃には時折見ていたいたずらめいた顔。作戦がハマると嬉しくなるのは、おそらくゲーマーの性だろう。それ自体を知るわけではないが、似たようなものは知っている。ブロックに跳んで相手スパイカーをコントロールできたときだ。だから、研磨の言う最中の自分の表情は、きっとこんな顔だったのだろう。
「じゃあ、遠慮なく」
「今度は正気なくさせてみなよ」
「……ガンバリマス」
 長い感情を燻らせていた二人の時間は、まだ、まだまだ続く。未だに残るいくつもの初めてを越えて、いつかは初めてのなにかが、なくなったとしても。

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